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ぼらブログ

ダグラスとシュタイナー

投稿日時:2010/05/20(木) 16:52

 






★★★
ダグラスとシュタイナー その1



この社会の貨幣システムがいかに欠陥があるかは、ダグラスの指摘した否定出来ない
ただひとつの事実を認識するだけで十分である。
商品の価格は、資本金+賃金+原材料費などからなりたっている。
資本金+賃金+原材料費=商品価格
だから賃金の総計すなわち
労働者の購買力では常に決して作られた商品全体を買う事が出来ない。
AB理論といわれている)
すなわち恒常的な購買力不足にある。
その為、このシステムでは常に、生産者は物が売れず苦しみ、消費者は物が買えずに
苦しむその様な人々を作り出しているという事実である。
努力が足りない、努力すれば幸せになる、社会が悪いのではなく自分が悪いのだと
言ってすませる訳には行かない所以である。
社会システムの根本的な改善の必要性は明らかである。
ダグラスは、このギャップをコスト以下の価格で販売する事が出来る様に価格補償する事と、
ベーシックインカム(社会配当)の2つを政府が実施する事によって常に一致させる事を
提案している。そして、借金による金貸しの貨幣発行ではなく、公共的な政府通貨の発行に
よる事業投資を提案する。そして賃労働という分配法は将来縮小して行く。

シュタイナーは、賃労働すなわち労働をコストと考えるのをやめる様提案し、減価する貨幣
を提案した。賃労働そのものを批判すると言う事は、労働と分配(貨幣、収入)を切り離して
考える事である。労働とは関係のない分配の為の分配とは、すなわちベーシックインカムである。
労働は精神文化であって、分配は経済である。分配する時は、良き分配をし分かち合う事だけ
を考え、労働量を云々し、労働を持ち出すべきではない。労働問題は、労働の場で考えるべき
別の次元の問題である。こうして精神文化である労働と、経済である分配とを切り離して
考える事によって、はじめて人間は経済に支配される事から脱却しうる。
労働を、人間を支配する貨幣循環から切り離し、貨幣による人間支配から、人間と
人間の労働を脱却させるのである。

ここで、2つの未来社会を考えてみよう。

もし、
資本金+賃金+原材料費=商品価格
という式で、資本金と原材料が無料で提供されるなら、賃金=商品価格となり、
ギャップの矛盾は解決する。この賃金はたとえ労働の報酬として支払われても、
すべての商品が買える額で賃金が決まる。ベーシックインカムとの違いは、
誰に払うかという分配法の違いだけである。
そうすると賃労働という分配方法の欠陥と不公正が、分配のあり方を見れば、
誰の目にも明白となる。他の要因のせいに出来なくなるのである。
両者の違いは、損得勘定か、分かち合うか、の違いである事がはっきりする。
そもそも賃金は、資本金と原材料費が無料である時のみ成り立ちうるとも言える。
とは言え、この場合の賃金は、もはや賃金ではなく、分配の為の分配貨幣である。
と言う事は、資本金と原材料が有料である事が悪い、すなわち労働に貨幣を
持ち込んだ事自体がそもそもの災いの始まりであると言っていいのではないか。
別の言葉で言えば、損得勘定が、資本金と原材料の有料化を生み、
分かち合いを破壊し、賃労働にしてしまったと言う事である。
労働の脱貨幣化。
この道を純粋労働の道と呼ぼう。脱貨幣労働の道と言ってもいい。
純粋労働社会である。

もし、この式からシュタイナーの言う様に、賃金をコストからはずすと、
資本金+原材料費=商品価格
となる。
そうするとそれらの商品を買う為のお金は一体どうなるのか?
もはや賃金ではなく、良き分配の為にのみ人々に分配する切符(分配貨幣)、労働以前の分配
すなわちベーシックインカムに他ならない。
すなわち
資本金+原材料費=ベーシックインカム
シュタイナーの賃労働批判は、ベーシックインカムの別の側面、コインの裏と表である。
そうするとそのベーシックインカムの総額で商品価格総計が買える様に配慮しなければなら
ない事になる。(もちろんそれ以上分配して貯金する事も考えられるが。)
これは、必要な貨幣のすべてを労働以前に、労働の報酬ではなく人々に与える方法である。
この道を全分配の道と呼ぼう。分配貨幣(BI)の道と言ってもいい。
完全なるBI社会である。

ダグラスもシュタイナーもこの第2の全分配の道を提案していると言える。
ダグラスの補償価格は、賃金を右辺に移せば、
資本金+原材料費=商品価格-賃金
という式が常に成り立つ様に左辺と右辺の間に生じたギャップを埋める為の
補償=商品価格の調整である。
それは人間が不完全であるが故にどうしても生じるギャップであると言える。
労働の報酬であろうが、BIであろうが、とにもかくにも生産商品価格総計に見合った
十分な貨幣が人々に分配されなければならない。労働の報酬では足りない分は、BI
支払われなければならない。
すなわち、
商品価格=賃金+ベーシックインカム
である。
この式を上の式に代入すると、
資本金+原材料費=賃金+ベーシックインカム-賃金
となり、
資本金+原材料費=ベーシックインカム
となります。
この式は、上のシュタイナーのいう賃金をコストからはずした場合の式と
全く同じです。
こうして考えると、資本金と原材料費を等しく分かち合うのがベーシックインカム
であり、さらには、それを超えてベーシックインカムは増えて行きます。
賃労働とベーシックインカムは補完関係にあります。
賃労働が減った分だけ、ベーシックインカムは増えていき、
奪い合いの損得勘定による分配から、分かち合いの分配へと移行します。
そして、BIを増やして行く事によって、賃労働を減らして行く。
究極的には、商品価格=ベーシックインカムすなわち、すべての分配が
ベーシックインカムになります。
こうして見てみると、ダグラスとシュタイナーの展望が一致している事がわかる。

それによって、労働の脱貨幣化すなわち、純粋労働への道も開けて来る。
贈与社会である。
その様な全分配社会の拡大の外に、もう一つの未来社会=脱貨幣社会があります。
贈与社会です。
シュタイナーは減価する貨幣の死する所に、精神文化社会や法政治社会があるのを見、
贈与の世界があるのを見た。ダグラスも贈与社会の拡大を標榜していた。
これは、BIと並び、分かち合いのもうひとつの型です。
全分配社会は縮小し、脱貨幣社会(純粋労働)がその分代わりに拡大していく
でしょう。

●労働の脱貨幣化の発展について見れば、
まず、資本や原材料費などの生産財の国内無料取引がすすめられるでしょう。
海外の原材料を輸入する場合、輸入総額と輸出総額全体として考えるならば、
相殺する事が出来ます。
こうして、生存競争社会ではバラバラで対立していた生産者達が結集し協同作業が
すすみます。シュタイナーのいう社会連合体の形成です。これはベーシックインカムに
よって財布をひとつにした事によってもたらされた可能性・結集の力です。
中途半端なベーシックインカムでは、賃労働社会すなわち、生存競争の解体がすすまない
為、この労働者の力の結集・協力関係が生まれないのです。
ですから、ベーシックインカムは、十分な額すればするほど良いのです。
はじめ精神文化活動や法政治社会活動が脱貨幣化するでしょう。
そして、経済世界のうち、生活必需品の一部が脱貨幣化するでしょう。
その事によって、貨幣に依存しなくても人間は暮らして行ける可能性が出来るでしょう。
ダグラスもシュタイナーも共に、全分配社会の道を提案しただけでなく、
さらにもう一つの道、純粋労働の道をも標榜していたと言える。
それは2つの分かち合いの型であり、ダグラスもシュタイナーも共に
奪い合いの生存競争社会から、分かち合いの社会への移行を標榜していた
のである。





















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