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ぼらブログ

ベーシックインカムをするとインフレになるって本当か?

投稿日時:2010/06/26(土) 17:06

 


その2 ベーシックインカムをするとインフレになるって本当か?



  インフレ・デフレや不景気の原因については、さまざまな人がさまざまな事を
いいます。専門家ですら意見はまちまちで、180度違った考え方が出来ます。
私達は、それら専門家や政治家やマスコミの意見を聞くと、もっともだとその中
の一つを選択するか、よくわからないので宣伝されている意見を聞くともっとも
らしいのでそうだと信じます。あるいは色んな人が色んな事を言うので、一体
誰を信じたらいいのかわからなくなったりします。
しかし、本当の事を言うと、それらはすべての意見はある意味、皆正しいのです。
けれども、皆正しいと言う事は、また皆間違っている、真理そのものではないとも
言えるのです。視点を変えれば、世界は違った様に見えるからです。
けれども、より狭い視点で見た意見と、より包括的な視点で見た意見があります。
途方も無い真理を巨大な球体だと考えると、あらゆる意見をその球体に位置付ける
事が出来ます。そしてより包括的な広い無限に向かって開かれた視点に立てば、
あらゆる対極的な意見は、視点の違いによる相違である事に気付き、硬直した
思い込みによる対立を乗り越えた観点に立つ事が出来ます。
あらゆる社会の事件は、精神的力と、経済物質的力と、法政治的力とが、その点や
人間に衝突結集して起こっています。ですから、の3つの全方位からの全体把握
が大事です。
すべての対極的意見を貼り付る事の出来る巨大な真理の球体があり、
すべての意見は多かれ少なかれ一面的な真理の絵にすぎないが、
より包括的な方が優れていると言える。

私達はさまざまなレベル・方角から様々な見方をする事が出来るけれども、
最終的には多くの社会の事件は自由意志を持った人間が引き起こしている
人災だと言えるのを、忘れてはいけません。
人間次第で多くの事は、如何様にもなるのだと言う事です。
最終的には、インフレ・デフレ・不景気というのは、人間の意志次第で如何様にも
なるのだと言う事です。もちろん自然が与えてくれる恵みと、社会の生産量全体
を超えた量の経済物資を分かち合う事は出来ませんが、最終的には、貨幣経済
がどうなろうと、人間に皆で力を合わせて生存競争しないで、生産する意志と、
皆でその成果を分かち合う意志さえあれば、幸福に生きれるのだと言うのが
真の現実であり唯一の真の経済法則です。
生存競争する必要など、どこにもない。
それをせざるをえない強制させられる今の貨幣システムは正気ではない。
インフレ・デフレ・不景気は、人間の強欲が作り出した幻想的現実です。
インフレ・デフレ・不景気を恐れる必要など、どこにもないはずなのです。

それは貨幣に支配され生存競争している人間に対する天罰の様なものです。
生存競争しない協同生産する労働と、分かち合う分配さえあれば、何も
恐れる必要などない。
インフレ・デフレ・不景気になるのは、人間が貨幣を支配制御しようとせず、
貨幣に支配されているからに他ならない。不安や強欲に陥るからである。
生存競争しているから必然的に起きる天罰であると言える。
すなわち貨幣を出したりひっこめたりする金融貨幣発行による金貸し融資と
貨幣管理の方法が根本的に間違っているのである。
借金(欠乏)から人生を始める必要などどこにもないのです。
借金(欠乏)から人生を始める様、強制する賃労働社会
そのものが諸悪の根源なのである。



地震などの災害が起きた時、ボランティアで無料で必要な物資を惜しみなく
分配すれば、人々は生活に困る事なく生きる事が出来るでしょう。
もし、社会全体がそれをやりさえすれば、すべての人は生活に困る事などないのです。
輸出と輸入は相殺出来ますから、国内の労働をすべて無料でやり、分配で奪い合い
さえしなければ、スーパーやあらゆるサービスを無料にしても何の問題もないのです。
究極的にはそう言う事が出来ます。
こう言う事を言うと、夢想的だとお笑いになるかも知れませんが、本当は貨幣社会の
方が人間が作り出した幻想にすぎないのであって、そこに見ている経済の法則や
現実と皆が思っているものは、人間の様々な損得感情による損得勘定を見ているのに
すぎません。その様な経済の法則は、損得感情が生み出した幻想にすぎないので
あって損得勘定の中でしか通用しない間違った経済の法則です。
究極的には本当は、真の経済法則はただ一つ、生産し労働した総量以上のものを
分かち合う事は出来ない、という事だけです
だからインフレ・デフレ・不景気などというものは、究極的には人間が実物経済の
財やサービスの価格を上げ下げしない意志、貨幣を理性的にコントロールしよう
という意志さえ持てば、起きないのです。
そうは言っても誰か一部の人が不安や貪欲から、財やサービスの価格を上げたら
経済は全部一つにつながっているのだから、連動して値上げせざるを得なくなる
のではないか、もしお店に言っても売ってくれなかったらどうしようもないし、貨幣が
ただの価値のない紙切れになってしまったらどうしよう、などと考えると又、貨幣循環
による人間支配の中で、損得勘定に呪縛されてしまって身動きが出来なくなり
前進出来ません。
インフレ・デフレ・不景気は、その大部分が、人災であって天災ではないのですから、
貨幣的損得勘定つまり、従来型のインフレ・デフレ・不景気を引き起こす貨幣循環を
前提にした経済理論の中にとどまる限り、根本的に解決する事はありません。
損得勘定に基づいた貨幣循環そのものが、インフレ・デフレ・不景気の原因
なのです。労働と分配の間を賃労働によって貨幣循環させたから、労働が
単なる商品となって、人間は貨幣に支配翻弄されるようになったのです。
その様な損得勘定に基づいた貨幣循環の外に出る事が必要です。
その中にとどまるかぎり、せいぜい応急的な対象療法でごまかす事が出来る位で、
貨幣を右から左へと移動しただけなので、別の問題を引き起こしたり、
また性懲りもなく一見違うが実は同じ種類の問題を永遠に引き起こし続ける
だけです。
現存するほとんどの経済理論・経済対策はその様な応急措置です。
船の底に穴が開いているのに、船に開いた穴をふさごうとせずに、ヒシャクで水を
汲み出している様なものです。それも全く必要ない訳ではないでしょうが、
穴をふさぐ根源的解決もしない事には話になりません。

インフレというのは、色々と原因を言う人が居ますが究極的には、
不安か強欲によって人間が値を上げるから起こります。
インフレ・デフレ・不景気は、生存競争し、分かち合っていないから
起こる人災なのです。
経済は連動していますから、どこかで誰かが不安か強欲によって
値を上げれば連動的に関連する値が上がるでしょうが、それは
BI
を実行したせいではありません。
貨幣の価値が下がって、インフレになるというのは、不健全な
金融経済(マネーゲーム)のせいでそうなるのです。
ダグラスのこのシステムの採用によって、実体経済の10倍もある
金融経済は、大掃除されます。そもそも投機的マネーゲームによる
金はもともと存在しない実体のない虚構のものですから、元の正気
に戻るだけの事です。
投機マネーや投資家が引き上げて行って、貨幣が大暴落する事を心配
する人がいるんですが、私としては、大いにその様ながん細胞には
永久にお引取り願った方が有難いのです。
経済が混乱して、相打ちになっても、それがかなうなら望む所です。
いずれは何とかしなければ皆死んでしまうんですから。
そうなれば、皆が本気で何とかしなければならなくなるでしょうから。
いつまでもウィルスの様に、居座られて、生き血を吸い続け
 られるよりはるかにましでしょう。
その様な人達は自分のしている事がどんな事かが分かって居ず、
大して悪い事をしているとは思っていないので始末に悪いのですが、
だからと言って甘い顔をして横行を許して居たら大変な事になるでしょう。
それなら早いうちに彼らと対決して、大変な事になって置いた方が
まだましです。
とは言え、決して彼らに対する憎しみや復讐が目的であってはなりません。
それは私達皆の共同責任なのです。
政府紙幣で、BIなどを支給したら、貨幣総量が増えるからインフレになる
という人がいますが、そうではない事はもう説明したとおりです。


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補足説明=なぜインフレ・デフレになるのか?


社会全体の貨幣がバケツの中に入っているとしましょう。
社会保障の人々へのその分配の財源を、賃労働システムによる貨幣循環の中に
求めるならば、バケツの中の水の、バケツの中での移動にすぎません。
これまでの社会保障と同じです。
しかし、新しい金貸しではない信用創造で、それを支払えば、ホースで新しい水を
別の水道の水源からバケツの中に注ぎ込むとなると、これまでの社会保障とは
全く違う効果と性質があります。
もし、他の要因が何も変化しなければ、ホースで新しい水を注げば、水量(貨幣量)
が増え、たとえば、貨幣量が10から100に10倍になれば、インフレになって商品
価格が上がり、貨幣価値が下がる。けれども経済のパイが増えれば、必ずしも
そうなるとは限らない。たとえば企業は、100%の能力を発揮している訳でなく、
生産稼働率が60%なら、まだ40%価格を上げないで生産出来る。企業がこれ以上
頑張れなくなって、値上げに踏み切るまで、インフレにはならない訳です。
「根を上げる」から、「値が上がる」訳です。
別にまだ根を上げている訳ではないのに、値を上げる便乗値上げや、強欲で不健全な
虚構のマネーゲームで、インフレになる事もあります。
この様に、なんらかの要因で経済のパイがそれに合わせて、増えて行けばインフレに
なりません。
もっと言えば、究極的には、
人間が「値を上げる」から、「値が上がる」訳で、値を上げない強い意志があれば、
あるいは人間が貨幣を人間に害を及ぼさない様に事前にコントロールするならば、
そうならない訳です。
しかし、社会信用論の場合、決して貨幣量全体を増やそうという訳ではありません。
ベーシックインカムは、賃労働の賃金や、これまでの金融資本による貨幣発行に
とってかわって新しい貨幣の発行を増やして行くもので、それに応じて、徐々に
古い貨幣の量を減らして行くのです。ベーシックインカムは、資本の分かち合い
あるいは賃労働の賃金にとってかわるものです。
さらに、ベーシックインカムは、人間の労働を貨幣の支配力から自由にするので、
無料労働(純粋労働)が自由に出来る様になり、損得勘定に基づく貨幣循環
そのものが縮小して行くでしょう。
つまり、賃労働にBIがとってかわり、BIが増加するだけでなく、
さらに、全く貨幣に依存しなくても、分かち合いや贈与は出来るからです。
ですから、完全なるBIが実現したあかつきには、その先は、さらにBIなどの貨幣に
依存する必要もなくなり、BIは減少するでしょう。
遠い将来、人類は貨幣など必要ないとすら、考える様になるかもしれません。


参考資料リンク


バケツの中の貨幣循環の水源は、これまでバケツの中の日本銀行でした。
バケツの中では、これまで貨幣損得勘定の原理で、金貸し(金融家)によって
新しい貨幣発行がされ、政府や企業や個人は借金から人生をはじめなければ
なりませんでした。そして返済しなければならないので、貨幣損得勘定にすべて
の人間の営為が支配される様になってしまいました。
本来商品であってはならない様なものまで商品になっています。
大部分の人間の労働が商品になる事によって、人間は貨幣に支配されています。
そんな中で人々は欠乏から人生をスタートさせられ、借金づけになり、おぼれない
様に隣人同士、奪い合わざるを得なくなってしまいました。
このバケツの中の水の流れに留まる限り、その中の水を再配分する事は
出来ますが、この様な事態の改善にはなりません。ですが別の水道のホースの
水を注ぐならば、新たな人間的な分配と貨幣供給の方法を実行した事になります。
その様な全人格的な判断による新たなBI的分配法が、従来の賃労働という分配法
にとってかわって行く可能性のパンドラの扉を開いた事になります。
これまでの社会保障では、賃労働システムはそのままで、人々の賃金から
税金で吸い上げ、また人々に再配分します。それでも私達はいくらか幸せになる
可能性はありますが、改善されるのはそれだけで、税金を吸い上げられる以前の
賃労働という貨幣の奴隷状態、国家や民間事業や個人が借金や欠乏から人生を
始める貨幣の奴隷状態について改善するきっかけにはなりません。
これまでの社会保障と同じく税金に財源を求めるならば、たとえそれを何と呼ぼうが
それと同じです。
この違いは大変大きな違いです。
これまでの社会保障のやり方は、現在の賃労働システムというお粗末きわまりない
労働と分配のシステムの存続をお手伝いし、尻拭いしてごまかしている様な
2重人格的な方法です。まるで右手でなぐっておいて左手で後で助ける様なものです。
主たる分配制度が社会保障で、賃労働は補助的な存在にならなければなりません。
私はそう思います


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またたとえそうなる危険があるとしても、やってみるしか道はないのです。
それは人類の義務なのです。
隣人と生存競争をするのはやめて、協同して労働する事と分かち合う事は、
協同社会における人類の義務なのです。
ただし、個人の自由意志に基づくものである必要があります。
たとえそうしなくても何度も何度もそう(インフレ・デフレ・不景気)なるのです。
それは、戦争の主たる原因であると言っても決して過言ではありません。
またおおよそあらゆる悲惨や、争いや、苦しみの根本原因でもあります。

もうこれ位でおしまいにしましょう。
もしやるべき事をやってハイパーインフレになるなら、それは我らが兄弟
金融家達が犯した罪の罰なのだから、甘んじて皆でその神の裁きを
受けましょう。私達には、皆協同責任があるのです。
今問われているのは我々の意志であって、経済的損得勘定に基づく経済理論
の外に出る事なのです。その様なハイパーインフレを起こさない様な貨幣と経済を
新しく築くのです。ですから、新しい貨幣が増えた分、古い貨幣は縮小し、
とってかわって減少するのです。ですから、心配するには、及ばない
のです。
私達は、人間を絶対者の様に支配するこれまでの経済法則の経済学から、
全人格な人間の自由な「べき」の判断に仕え、制御する人間が主役の経済学
の時代に前進しなければならないのです。
ですから、ハイパーインフレを起こすから社会信用論の為の政府紙幣の発行を
反対するというのは、本末転倒なのです。
ハイパーインフレを起こす様な国はよほどの暴君が無茶をした場合や
生産力のない国に限られるのであって、日本国はもはやその様な国では
ありません。
ハイパーインフレになると言って反対する人は、今のままで
いいと思っているだけで、それではどうやって今の生存競争をやめ、
分かち合う社会を作るかという創造的な対案など持っていないのです。
その様な人達には、絶対に日本と世界の未来を託す事は出来ません。

大事な事は、実体経済において、生産を続ける事と、それを分かち合う
しくみだけなのであって、貨幣経済などではありません。
それさえ、日本中の人が力を合わせてすれば何も恐れる事はありません。
もっと言うなら、たとえハイパーインフレになるとしても、
やった方がいいのです。
もともとがただの紙切れなんですから。
もし心配なら、万一インフレになった場合の対抗策も
用意しておけばいいのです。
それで皆が力を合わせて貨幣に依存しない、人間が主役の新しい
分かち合う社会を構築する機会になるのなら、お安いもんです。
戦略的国家破産宣言あるいは計画的ハイパーインフレです。
予め皆で綿密に行動計画と段取りを叡智を合わせて、練り上げて、
国民皆で、合意形成し、金融経済のがん細胞共々、作戦的に、
わざと一端、抱き付き心中するのです。
あまりおすすめの方法ではありませんが。
そのさいの生産と分配の維持をどの様にするかの対策準備
と行動計画を国民全員が、あらかじめしておくのです。
それから、打ち合わせどおりに、新しい社会をゼロから再構築
するのです。
このまま奴隷の様に生き血を吸われ続けるより、はるかにましです。
また新しい貨幣を発行する事だって出来るのです。
勇気を持って前進しましょう。
大事なのは、実体経済において生存競争をやめ、日本中が協力し
あって生産する事と、分かち合いの分配をする事だけです。
その為には、人間を支配している経済システムを消滅しなければ
なりません。
貨幣経済は、人間の意志で如何様にもなるし、貨幣に依存しなくても、
それは可能なのですから。
政府紙幣や国家銀行というと、すぐに中央集権的で非効率な
社会主義は駄目だと、勘違いする人がいますが、一体社会主義と
いう言葉が何を意味するかはっきりしないままそうするのです。
その様な旧ソ連型や北朝鮮の社会主義の間違いは、中央集権と
強制支配であり、社会主義とは言えない様な社会主義、
国家資本主義です。
資本主義の優れている所は、個人の言論・表現などの自由と、
自由で闊達な経済活動の自由です。
しかし、必ずしも個人が自由意志で生きられる訳ではありません。
利己主義的に隣人どうし生存競争している所が最大の欠陥です。
社会信用論は、その様な個人の自由な経済活動を、後退させようと
するのではなく、貨幣による人間支配、単なる損得勘定による
生存競争から開放し、個人の自由な全人格的判断による活動に
完全に委ね、個人の自由をさらに拡大しようとするものです。
個人の自由をさらに尊重拡大しようとするものです。
つまり、個人の自由と、全人格的な道徳判断との両立の道を
標榜するものです。
しかし、その為には、今日の様な人間を支配する貨幣ではなく、
皆の公益、国民に仕える代理人としての新しい原理に基づく
貨幣の発行と運営・分配が必要です。
その為のナショナルバンクと政府紙幣でなければなりません。
だから、経済活動も他のいかなる労働も、個人の自由意志による
現場管理の自主性に委ねられるのは、絶対条件です。
投資先の決定も原則自由で、目に余る行き過ぎた不正だけが
法的に規制されるべきです。
資本主義は、人間の絶対者は居ない様に見えますが、賃労働制度
によって、人間を商品のひとつとする事によって、貨幣が絶対者と
なって人間を支配しています。そしてその煙幕に守られて、一部の
人が甘い汁を吸い、欠乏状態の民衆も分け前に有り付きたくて
支配されざるを得ないのです。
一番悪いのは、先送りする逃げです。
インフレになるとか、怠け者が増えるとか、いくらでもBIをしたら大変な事に
なると脅す人は居ますし、その人は自分が正しいと信じ込んでいるのです
が、騙されているのかどうかわからなくても、臆病になっていては何も
解決しません。さも自信ありげに自己主張する人は多いですが、
本当に真実を悟っている賢者は少ないのです。
それが証拠に、専門家ですら意見はまちまちなのです。
今の社会や人間の学問はまだその程度のレベルです。
だから論争が絶えないのです。
けれども私の経験では、論争に勝つ事と正しい事
とは大抵違うので、大勢や常識に惑わされないで、
全く自由な時の人間的な自分の感情や直観や希望を信じた方が、
たとえ証明の仕方がわからなくても大抵正しい様です。
ですから叡智を結集して力を合わせて、やって見る事が大事です。
やって見なければ誰もどうなるかなど本当の所はわからないのです。
証明を待っていたら何も永遠に創造的な事は出来ないでしょう。
ベーシックインカムに反対する人には、
「それではあなたはどうやって、生存競争をやめて分かち合う社会を
作るのか、対案を提出して下さい。それが出来ないなら私達は、
社会信用論(BI)を選択します。」と言えばいいのです。
本当は、その様な人達が、今日の事態を招いた張本人なのです。
やらなければならない事は、少なくとも方向性ははっきりしているのです
から、あとは叡智を結集して実行あるのみです。
危険や困難はありますが、今だってあるのです。
私はそう思います。

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